無駄に元気!『Act3.飼育小屋熱闘編』 |
登場人物
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薄暗い体育館裏の空間に、その小屋はひっそりと佇んでいる。 辺りにただようのは獣のにおい。土塊と、青草と、糞尿の入り混じった異臭。小屋の中に押し込められた野獣は、ぎょろりと目を見開き、喉の奥でクツクツと唸る。 王者の風格だ。 こちらを睥睨する圧倒的な威圧感に、赤羽恵子はこぶしを握りなおす。既に勝負は始まっていた。気迫に呑まれれば、その時点で敗北が決する。 恵子も、白バラお恵の名で呼ばれる四年生きっての傑物だ。まさかこぶしを合わせる前から逃げ出すような醜態を見せるわけにはいかなかった。 大きく息を張って睨み返す。小屋の中の野獣は不快そうに息を吐き出した。 大丈夫、迫力負けはしていない。 出来る限り不敵に笑みを浮かべて、恵子は己を鼓舞するように挑発の言葉を探した。 「相変わらず小汚い恰好ね、コタロー。冬休みを挟んでだから、一月……いや、二月ぶりかしら」 檻の中から投げられる視線が鋭さを増す。まさか人語を解したわけではあるまいが、敵意だけは伝わったようだ。 うろたえるな。恵子は自らに言って聞かせながら、乾いた喉に唾液を飲み下す。その場の空気がガラスのように鋭く、触れれば血が出るほどに張り詰めていく。 コタローと呼ばれた野獣は、その頭上に掲げた赤い王冠をピンと立て、恵子の挑発に応えるように一声だけ高く吼えた。 「コケェーッ!」 放課後の掃除時間。自由を尊ぶ小学生たちにとって最も忌むべき、残業の時間。四年三組二班の面々は飼育小屋掃除を割り当てられ、彼らの仕事を早々に全うするべくほうきとちりとりを持ってここに来た。 その筈だ。 異様なノリに包まれたその場の空気に戸惑って、竜泉洞しののむはおずおずと口を開く。 「……えーと」 昼間というには遅すぎて、夕方というには早すぎるその時刻。昼下がり。相づちを打つようにアホーと鳴いて、なんとなくその場にオチを付けてくれる便利なカラスは、残念なことにまだ飛んでいない。 班長の恵子は当事者であるし、副班長の風祭十真は問題外、書記の山海さやかことカンパネルラ山海は何ごともないように一人ウサギ小屋の掃除をしている。 しののむは、ここでマトモなツッコミを入れられるのが自分ひとりであるという絶望的な戦況を悟った。 まあ、すべていつものことだが。 「結局なんなのさ」 「ああ、しののんはこないだ転校してきたばっかで知らないんだったね」 肩をすくめて、十真が訳知り顔に言った。 「コタローのことは知ってる?」 「あのニワトリ?」 「そう、“あの”ニワトリだ」 と、感慨深げに目を閉じ、神妙な声を作る。 「校庭に君臨するもの、赤足、あるいは朱の座の王。様々な名をもって呼び畏れられる最凶のニワトリ、コタロー・ド・ディアブロス一三世」 「また、大層な名前だなァ」 「伝説によれば、かのニワトリは卵から孵ったときには既にあの赤い冠をかかげていたと伝えられる。爪は鋼鉄を裂き、嘴は岩をも噛み砕く。中庭にあるあの池は、コタローが保健室のおばさんと戦ったときに出来た爪あとから生まれたそうだ」 「んな無茶苦茶な」 「恐るべきは強靭な脚力と鋭い鉤爪をもって繰り出されるあのハイジャンプキック! 屈強な飼育委員会の猛者三人を一瞬で再起不能にまで貶めた脅威の威力。単純計算でその強さはクマの三倍以上ッ!!」 「いや、それはもういいから」 「まあそういうことで、学校最強のストライカーを目指すお恵さんにとっては目の上のコブみたいな存在なんだ」 しれっと言う十真に、しののむはうろんな目を向ける。この愛すべき変人の言葉は九割がたでたらめであることを、しののむは嫌というほど知っていた。 「山海さん、こいつの言ってることってどこまでホントなの?」 この場にいる三人の中で、一番信用できそうな人物に確認を取る。カンパネルラ山海はほうきを掃く手を止め、少しだけ考えるとコクリと頷いて言った。 「ホントなのは飼育委員三人をあっさり倒したとこ。顧問の先生も一緒に倒されて、保健室のおばさんと並んで学校最強って言われてる」 「マジに?」 「うん」 しののむは視線をコタローに戻す。飛べない翼を半開きにして威嚇するその様子はどうみてもただのニワトリのようにしか見えないが、言われてみると確かにものすごく凶暴なニワトリであるように思えてくる。 「コタローの住む鶏小屋を掃除するためには、当然コタローを小屋の外に出さなくちゃならない。分かるだろう? ぼくらの ニワトリとにらみ合ったまま黙り込んでいた恵子が、唐突に雄々しく宣言した。 「そう! 今日こそはコタローを倒して、ニワトリ殺しお恵という最強の称号を手に入れてみせるわッ!!」 「いや、やめといた方がいいと思うよ。強そうっていうよりストレスでおかしくなった現代教育のひずみみたいだから」 「 「ケーコッコッ!!」 一瞬後、一人と一匹の蹴りが交錯する。 気合の声とともに牽制の蹴りを繰り出す。 土を蹴る軽い音。コタローは後ずさってして恵子の一撃を難なく躱す。目前を、容易に骨を砕くほどの蹴りが通り過ぎたというのに怯んだ様子もない。繰り出した蹴りで軽く体勢の崩れた恵子の隙を突いて、コタローは素早いフットワークで恵子の懐へと迫る。 その素早さは最早尋常な白色レグホンの動きではなかった。まさに白い稲妻。傍から見ていたしののむたちにも目で追うのがやっとだ。 「チィッ!」 恵子も伊達や酔狂で学年最強を名乗っているわけではない。考えるより先に左腕が動いていた。払いのけるような掌底の一撃を、ニワトリの身体の中心に叩きつける。 それで呆気なく、コタローは小屋の端まで飛ばされた。恵子は拳を繰り出した姿勢のまま微動だにしない。 「決まった?」 期待と疑問の入り混じったしののむの言葉を、しかし十真は首を振って否定する。 「いや、今のは効いていない」 果たして十真の言葉通り、コタローは無傷だった。吹き飛んだ先で鉄網を蹴り体勢を整えると、何ごとも無かったように着地する。制止してたままの恵子を見上げ、あざ笑うように喉の奥でクックッと鳴く。 ツゥと、恵子の頬から一筋の赤い血が流れた。 「どうして……」 「羽だよ」 呆然とするしののむに、十真が答える。鋭く戦いを眺める視線は、一人と一匹の戦いをその一挙一動まで見逃すまいと、緊張に張りつめたままだ。 「打撃が決まる直前、羽ばたいて蹴りの威力を殺したんだ。元々空中で衝撃はほとんど伝わらないし、あの羽毛だ。ダメージはゼロに等しい。ついでに羽の先で恵子の頬を切り裂いていった」 「いや、切り裂いてって……羽で?」 「達人は自らの気をこめた髪の毛を針のごとく扱うという……」 「どんなニワトリだ、それ!」 しののむの悲鳴はさておいて、話は進む。 恵子の攻撃はただ一撃だけでは終わらない。続けざまに烈風のような連撃がコタローを襲った。 人中、喉、水月、金的。ニワトリにとっても正しく急所であるかは知れないが、恵子の繰り出す打撃は全て身体の中心線を捕らえて放たれる。一部の隙も無い、一個の芸術のような攻撃。 「……くッ!」 常人なら三度は死ねる猛攻だった。しかし、コタローは悠々とその全てを躱し、避け、また掻い潜っていく。 恵子が烈風ならば、コタローの動きはまさしく風に舞う花びらだ。いかな烈風も、己自身に乗るものを引き裂くことはできない。 十数合打ち合った後、ようやく恵子も埒があかないことを認めた。このままでは勝てないどころか負けが決まる。 自分の攻撃は当たらない。しかし、コタローの攻撃もそうであるかどうかは別の話だ。 ニワトリなにを考えながら戦っているかは知らないが、コタローはこれまでの応酬の中で、まだ最初の一撃以外に反撃というものをしていない。 慎重に隙を見計らって、恵子は後ろに飛び間合いを取る。コタローはそれを追わない。歯牙にもかけぬといった態で、ふんとその場に座り込む。 灼熱しそうになった怒りを必死で押さえつけ、恵子は高らかに叫んだ。 「トーマ! 四年三組二班副班長、風祭十真!」 「は、ここに」 小屋の外に控えた十真が大時代的な動作で応える。恵子は、視線をコタローに向けたまま頷いて、言った。 「あたしはこれより、班長たるものの務めを果たさねばならない! 戦況は絶望的、あるいは命を落とす覚悟だ! そうなればトーマ。おまえは二班の副班長! あたしという柱が倒れた時、二班を背負って立つのは他ならぬ貴様だ! 喜べ!」 「承知しました! 班長殿!」 「バンザイさんしょぉおうッ!!」 「バンザーイ! バンザーイ! バンザーイッ!!」 「では、さらばだ諸君! 愛すべきわが部下たちよ!」 「班長殿オオオオオ!!」 「……なに、このコント?」 最後の一言は言うまでもなく、しののむである。これまた言うまでもなく、無視される。 「コタロー、よく聞きなさい。あたしは今から、あたしの持つ最強の業を持ってあんたを倒すわ。あんたも闘士の端くれなら、最強の業をもってそれに応えなさい」 一方的な通達。そのとき、コタローが僅かに微笑んだように見えたのは気のせいか? 気のせいだ。しののむはそう思いたかった。しかし恵子はそう思わなかったようで、満足げに頷くと最後の一撃を繰りだすべく構える。 「コケーッ!!」 雄たけびとともに、コタローが地を蹴り、跳び上がる。凄まじい速度。だが、恵子には勝算があった。 「 恵子がコタローと拳を交えたのはこれで四度目だ。二度どころではないだろうというツッコミはさて置くとして。その全ての戦いを、恵子はコタロー得意のハイジャンプキックにより地に伏してきた。攻撃のタイミングはとっくに、身にしみて知っている。 「奥義! 舞い上がったコタローを打ち落とすように恵子のつま先が天を穿つ。 コタローは今度こそ躱せない。既に翼は閉じきり、跳び蹴りの体勢で空中にいる。いまさら羽ばたいたところで逃げることは叶わない。 この時点で、恵子は勝利を確信した。 繰り出した打撃は、骨を砕く類のものではない。筋を裂き、腸を崩す致死の一撃。いかにバケモノじみたニワトリといえど、所詮は肉と骨の固まりだ。これを喰らって生きていられるはずが無い。確信があった。 その考えは全くもって正しい。たしかに、生きていられるはずは無かっただろう。当たっていればの話ではあるが。 すとん 「……へ?」 その時に出た声はたいそう気の抜けた様子だったと、後に傍観者風祭十真は述懐している。実際、そのとき恵子は放心していた。事情が飲み込めず、かといってパニックに陥るような混乱もなく、ただぼんやりと見ていた。 己のつま先の上に、何気なく着地したそのニワトリを。 「え……? え?」 ありえないこと。少なくとも、恵子はそう感じた。 打たれる直前に飛び上がったのではない。恵子のつま先が届かなかったわけでも、もちろん無い。 コタローは衝撃の瞬間、ただ足の動きのみで蹴りの威力を殺したのだ。 そのまま振り払えば、なんとか逃げることは出来たろう。しかし、予想外の自体に恵子の意識は一時停止する。 結果、そのわずかな時間が命取りになった。 ダン 突き上げたつま先から頭の上に、コタローが飛び降りる。 瞬間、ニワトリが着地しただけとはとても思えないような音と衝撃が頭蓋を伝わった。 なにが起きたのか正しく理解することもないままに、そこで恵子の意識は落ていく。 恵子が倒れた。コタローの一撃で、あっさりと。 「コッケコッコーッ!!」 勝ち鬨の声を上げて、コタローは小屋の奥に座り込んだ。後に残ったのは額に見事な足跡をつけた恵子一人だけ。 「だいじょうぶかな」 「軽い脳震盪だね。ほっといたら起きるよ。大丈夫、コタローも手加減はしてくれたさ」 ニワトリの手加減。果てしなく信頼できない。疑わしそうなしののむの視線に気付いているのかいないのか、十真は恵子を小屋から引きずり出して、言葉通りその辺に転がす。 「それで、どうするの。掃除」 「ん〜、帰る?」 「そういう訳にもいかないでしょ」 「仕方ないなあ。カンパネルラ山海」 「山海さん?」 しののむは不思議そうに首をかしげて、そちらをみる。 とっくにウサギ小屋の掃除を終えて傍観に入っていたカンパネルラ山海は、軽く頷くとニワトリ小屋の前に座り込んだ。じっとコタローと見詰め合う。先ほどの、恵子のときのような張り詰めた雰囲気はない。 カンパネルラ山海は目を合わせたまま懐から棒のような何かを出すと、それをコタローに向けて振って見せた。 「おいで、コタロー」 するとどうだろう。先ほどまで巌と小屋の中に留まっていたコタローが、あっさりと腰を持ち上げ、そのままとことこと外に出てくではないか。 「な、なにしたのの? 山海さん!?」 「これ」 カンパネルラ海山はポツリと簡潔に、手に持った棒を指差した。 「なにこれ?」 「ササミスティック」 「……は?」 「コタローの好物」 ササミスティック。原材料、ニワトリ。一〇〇%ニワトリ。 「共食いじゃないか!」 ギョッとして見ると、コタローは美味そうにササミジャーキーをぱく付いていた。 「さ、今のうちに掃除」 そのまま数本のササミスティックを地面にばら撒くと、カンパネルラ山海は箒を持って立ち上がった。 なにやら果てしない徒労感に襲われ、しののむは十真の方に視線を向ける。目が合った十真は軽く肩をすくめて。 「ほら、掃除しよう。しののん」 「……ていうか、なんで最初っからこれで釣らないのさ」 「はは、そんなの決まってるだろ」 十真は笑った。ひたすら朗らかな、例えるなら底の抜けた桶のような笑顔だ。 「そっちの方が面白そうだし」 しののむはその場にへたれこんだ。 |
あと書き |
これだけ書くのに一週間以上です。果たして次の電撃の原稿は今から書いて間に合うのかと思うと死にそうになります。(ぐてり 創作者の交流と研鑽の場:クリエーターズネットワークの一月のテーマ企画『トリ』のために書いた作品です。 |