無駄に元気!『Act1.風祭十真の疾走』 |
登場人物
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ふと前方に、路上で「上を向いて歩こう」を実践しているクラスメイトを見てとめる。 風祭十真、愛称トーマ。特徴的なメガネバンドは後ろから見ても一目でわかる。しののむの所属する、三組二班の副班長だった。 何をやっているんだ、アイツは。 只今しののむたちの置かれている状況を鑑みるに、とぼとぼと歩いている暇は無いはずだった。しののむは息切れを抑えながらその人に声をかける。 「トーマ、なんで歩いてるんだよ」 「誰が歩いてなどいるもんか! 訂正しろ訂正。いや、むしろぼくは全力疾走しているとさえ言えるね。うん」 なぜか逆切れした後、十真は初めて気付いたとでも言うような仕草で、しののむに目を向ける。 妙にさわやかな笑顔。汗一つかいていない。どうやら、随分と前から歩いているようだ。 「おや、しののん。せまい日本そんなに急いでどこへ行く」 「どこって、ゴールに決まってるじゃん。マラソン大会だよ」 しののむも速度をゆるめてその横に並ぶ。 先ほどまでずっと走り続けていたためか、疲労がどっと汗とともに吹き出てきた。 「ゴール、終点、目指すべきもの。まったく、深遠な問題だね。無駄と勉強で出来ている小学生の発言とは思えない」 うんうんと頷きながら十真はそれこそ無駄にオーバーなリアクションで道路の脇、コンクリートで舗装されたおうとつ のある崖を指差す。 「ためしに一つダイブしてみたら? きっと一瞬でゴールインだよ」 「天国にかよ」 「地獄かもね」 「トーマこそダイブしたら?」 「遠慮しとくよ」きっぱりと断る十真。「ぼくの終着点は永遠の生なんだ」 「ああ、そう」 暖簾に腕押し、柳に風。 体力的なものとは別の疲労にしののむはため息をついた。 「どうでもいいけど、走らないとゴールできないよ」 「走っているさ!」 とぼとぼと歩きながら、十真は両手を広げる。 まじまじとその様子を見て、しののむはもう一度言った。 「どうでもいいけど、走らないとゴールできないよ」 「走っているさ!」 埒があかない。 十真もそう思ったのか、今度はもう一言付け加える。 「しののん、走るということはどういうことだと思う?」 「いや、どういう意味って聞かれても……」 十真はなぜか、さもありなんと言うようにうんうん頷いて、無意味に颯爽と青い空を指差した。 「ぼくはね、走るというのは真っ直ぐに無駄を省く事だ。そう思っているんだよ」 からっぽの貯金箱みたいにさわやかな微笑みだった。 「短距離走の選手を見てごらん。彼らはたしかに走る距離こそ短いが、それゆえ全く無駄が無くて、綺麗だ。駆けているというより飛んでいるといった方が正しいくらいに、ただ純粋に真っ直ぐゴールを目指す」 「じゃあさっさと走ろうよ。ほら、急がないと給食に間に合わないよ」 いつの間にか、周囲には誰も居なくなっていた。そういえば、としののむは思い出す。自分はクラスの中でもかなり遅い部類に入る少年だ。そもそも、普通に走り続けていてもきちんとゴールできたかは微妙な線だろう。 十真は相変わらず余裕たっぷりに歩きながら、嘆かわしそうに首を振った。 「違うんだよ、しののん。ぼくらは既に走っているのさ、この青春という広い平原を!」 ツクツクオーシツクツクオーシ 晩夏の挽歌を歌う蝉の声が響き渡る。そのくらい、寒い。 「……へえ〜」 「ごらんしののん、あの青い空を。風のささやきを。ぼくたちは忙しい日々に追われ、なにか大切な事を忘れかけている」 十真は自分の肩をやわらかく抱きしめ、視線を頭上高く投げた。 しののむもつられて空を見上げる。真っ青な、眩しく煌く太陽のほかを置いて、一点の曇りも無いその群青! 息を飲んだ。風がやさしく彼ら二人を取り巻き、空高く舞い上がる。 ふいに幻視した、翼をはためかせて飛ぶ鳥の姿を。唐突に気付く。自分たちは鳥なのだ。この青い空をただ飛ぶために生きる、一対の白い翼よ! 「健やかな時間が、二度とふたたび訪れることの無いこの瞬間こそが明日のぼくらを作っていく。すべて決して無駄じゃない。無駄でなどあるわけがないんだ! そうだろ、しののん?」 「なんかここで否定するとぼくがダメな人間みたいなノリだね」 同意を求められて、しののむは頭を抱えた。 十真はさらに言葉を続ける。 「先生たちも、ぼくらに大切な事を気付いて欲しかった。だからマラソン大会なんててんで意味の無い、まったく時間の無駄であるとしか思えない企画を実行したんだ」 「いやそんな、『ちょっと良い話』っぽくまとめても、マラソンをサボる理由にはならないと思うけど」 「そんなことは無いさ」 十真は自信たっぷりに断言する。 「それじゃあ、しののん。君はなぜマラソン大会という行事が存在すると思う?」 「それは……」 しののむは言葉に詰まった。 大半の小学生がそうであるように、しののむもマラソン大会というものを憎む生徒の一人であった。延々と走り続けることに何の充足感も感じず、ただ惰性に流されてここまで走ってきたのだ。 なぜ? 疑問に思い、自らの中で問い質したのは一度の事ではない。正直を言うと、走りながら常にそのことを考え続けていたと言って良いくらいだ。恐らく他の走者たちも同じように、意味を見出せぬまま走っていたことだろう。 この、風祭十真という男一人を除いては! 「いいかい、しののん? 仮にぼくらがこのまま、一〇キロもの小学生から見れば反則的距離を走りきったとしよう。 風を切って堂々と、校門から入場し、声援の中で二位をはるか後方に突き放してゴールの紐を切ったとしよう。 だから、どうなるというのさ? それはすべて無駄なんだ。マラソンという存在そのものが、無駄なんだ! ぼくらはマラソンで全力を出そうとする分、純粋に走る事から遠ざかっていく。それは絶対的な真理で、絶望的な矛盾だ。 走りきったところでぼくらの世界は何も変わらない。夏休みが二ヶ月延長されるわけでもないし、あるべき筈の秋休みが出来るわけでもない。もちろん今日の給食のぶどうパンがおいしくなる事も無い。相変わらずぶどうパンは不味いんだよ!」 「トーマ……」 しののむは哀しい瞳で十真を見つめる。そして知ってしまった。どうしようもない事実を。 ああ、なんたる運命の皮肉よ! 心の中で神を恨みながら、それでも一言だけ告げた。 「今日の給食は、揚げパンだよ」 時が止まった。 「……なんだって?」 十真の瞳が驚愕に開かれる。次いで歓喜に晴れ渡り、直後絶望に染まった。 「ぶどうパンは先週。当番の生活係が今週分の献立張り忘れてるんだよね。今日は揚げパンと、ビーフシチュー」 きーんこーんかーんこーん 遠くでチャイムの鳴る音が聞こえる。 ぶどうパンは時間をおいてもおいしくならないが、揚げパンもビーフシチューも時間をおくとその分冷めて不味くなる。 次の瞬間、風祭十真は目標に向かって全力で走り出していた。 |
あと書き |
なんとなく出てきた一品。 続く。とだけ書いておきましょう。 創作者の交流と研鑽の場:クリエーターズネットワークの09月のテーマ企画『走る』のために書いた作品。 |